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『邪馬台国』の場所って近畿説?九州説?それとも…ハ〇イ説?

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『邪馬台国』の場所って近畿説?九州説?それとも…ハ〇イ説?

『邪馬台国』があった場所とは???

 

 

日本史には未だにミステリーとなっている歴史が沢山あります。

あまり文献が残っていなかったり。

はたまた、文献はあるが異なる内容により複雑になっている。

その中で、専門家たちの間で論争になっている。

確実な歴史的事実を知ることも十分に面白いが、私的には未決着で様々な意見を調べたり聞いたりする事もまた魅力があると思う。

その未決着の歴史の中で、今回は「邪馬台国」の位置はどこ?

という論争について説明していこうと思います。

 

 

 

 

邪馬台国とは

まずは邪馬台国とは何か、簡単に解説します。

2世紀〜3世紀に日本にあった大きな国です。

歴史の授業で必ず習う女帝「卑弥呼」が治めていた国なのです。

邪馬台国について日本の中には文献が少しも残っていないため、中国の『魏志倭人伝』の資料に残っているものを頼りに日本の邪馬台国が記されています。

そのため、あまり情報がなく本当に存在していたのか、どこに存在していたのか、また卑弥呼は実際にいた人物なのか…

と曖昧なままなのです。

これはこれで先程も述べた通り、ミステリーな感じで面白いですよね。

では、邪馬台国の位置はどこにあったのでしょう。

邪馬台国の位置

これに関しては本当に論争が激しく、様々な専門家の意見が数多あります。

その中で私が知っている限りの説を紹介したいと思います。

邪馬台国の位置説は…

近畿説(大和説)

九州説

出雲説

四国説

沖縄説

ハワイ説

ジャワ・スマトラ島説

などがあります。

最後の2つなんて、ネタでしょ?って思いますよね?

本当に聞いたことがあるんですよ!

1度調べてみて下さい。

信じるか信じないかはあなた次第!

このように、多くの説があります。

こんだけの数の説があれば、そりゃ〜激しい論争が起こることは目に見えますね。

では、この中でどの説が有力なのでしょうか?

近畿説(大和説)

この数多ある説の中で有力な1つは「近畿説(大和説)」です。

まず、何故こんなにも説にバラつきが出てしまっているのか。

それは、魏志倭人伝に記されている内容が非常に曖昧であるからです。

何故かというと、記されている距離と方角がすごい状況にあるからです。

記されている距離と方角で計算すると、日本列島を超えた位置にあることになるのです。

そのため、距離を根拠に考えれば有力な可能性があるのが近畿説(大和説)なのです。

それ以外の根拠として、魏の銅鏡が多く発見されたり、大和と邪馬が似ていることが挙げられています。

また、箸墓古墳には卑弥呼が眠っているという説もあるため、近畿(大和)の説を信じる専門家が多数います。

しかし、魏志倭人伝に記されている方角が合わず、違うと主張する専門家がいます。

そして、もう1つの有力な説もあります。

九州説

それは九州説です。

九州説になる大きな根拠は魏志倭人伝に記されている方角が一致しているところにあります。

これは、江戸時代の偉人、新井白石と本居宣長が初めに主張したとされています。

また、吉野ヶ里遺跡や、福岡にあったとされる伊都(いと)などの大きな規模の遺跡があったことも根拠としている。

そのほかにも、鉄製の武器や金印が出土しており、大きな権力が存在していたとするならば、邪馬台国なのではないかと考えています

しかし、九州説にも欠点があります。

それは魏志倭人伝の記しにある距離の計算が合わないことです。

このように2つの大きな説、近畿説(大和説)、九州説が有力候補であります。

まとめ

今回は邪馬台国がどこに存在していたのか説について述べました。

多くの説があるなかで

近畿説(大和説)

九州説

が有力な候補であります。

どちらになるかで大きく歴史がかわってくることは確かでしょう。

今後、文献資料が見つかり、しっかりした邪馬台国の位置がわかる日がくるのでしょうか?

知りたい気持ちと期待の気持ちと同時に、ミステリーであるワクワクや自分の根拠を話す楽しさがなくなる寂しさもあります(笑)

このような論争を知ることも、歴史を学ぶ楽しさの1つになるのではないでしょうか!!!

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