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京の大仏が存在した!? 不運続きの○○??

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京の大仏が存在した!? 不運続きの○○??

京の大仏の過去

 

皆さんに質問です。

「大仏」といえば何が思い付きますか?

「奈良の大仏」が思い付きませんか?

世界遺産の東大寺にある奈良の大仏。

聖武天皇が建立した歴史ある大仏ですよね。

ものすごく大きな大仏様で、見る人を魅了してきました。

しかし、その奈良の大仏を超える程の大きな大仏が京都にあったことはご存知でしょうか?

えっ、知らなかった!?という人も多いのではと思っております。

その大仏様は「京の大仏」と呼ばれていました。

創ったのは誰か。。。

あの豪華好きな天下人

豊臣秀吉

であります。

しかしその京の大仏は、現在はありません。

それはあまりにも不運続きでありました。

その不運続きであった京の大仏について述べていこうと思います。

京の大仏

京の大仏とはどのようなものなのか。

これを見ていきましょう。

京の大仏は、天下人の豊臣秀吉によって造られました。

「本能寺の変」で天下統一目前で敗れた織田信長。

それに代わり、「山崎の戦い」で敵を打ち

天下人へとハイスピードで進んでいきました。

*本能寺の変の謎について大変詳しく述べた記事もぜひ読んでください。

➡➡『本能寺の変の謎』④ 明智光秀=南光坊天海って本当の話!?

そんな豪華好き豊臣秀吉は京都に

大仏を創るよう命じました。

それも秀吉は5年で完成させろと無茶な命令をしたのです。

毎日の労働であり、約5000人が働いたとか。

民衆も多く動員されたようです。

木材にお金に、人員にと大量の数が必要だったようです。

京の大仏造りの命を下したのが、天正16年(1588)であったとされています。

その同年に「刀狩令」も出されています。

京の大仏造りに使われていても不思議ではありませんね。

民衆は刀狩りされるは、労働を強いられるはと

不満が高まっていたのです。

そんなこんなで、見事に奈良の大仏をも超える大きな大仏が造られたのです。

豊臣秀吉の力を見せつけるには十分すぎるものでした。

こうして京の大仏の完成は大成功を収めたのです。。。

かと思いきや!?

出典:国立国会図書館デジタルコレクション

 

 

慶長伏見地震

大成功を収め、見事な京の大仏を造られたかのように思えます。

しかし、ここからが不運の連発でした。

完成期日の無茶ぶりや、労働の強制などが裏目に出たのか。

はたまた、今後の豊臣家の行く末の暗示だったのか。

慶長元年(1596)に伏見を襲った大地震

慶長伏見地震により京の大仏が痛ましい姿になりました。

なおかつ秀吉は大仏様に対して、

自分の身も守れないのに、御利益なんてないぞ!

と文句を言い、痛ましい姿のままにし続けたといいます。

その後は遷座したりと仏をないがしろにするような所業、、、

それの祟りなのか、慶長3年に秀吉が死去しました。

まだまだ不運は続く…

方広寺鐘名事件

これで、不運は終わったかのように見えた。

そして、秀吉の意志を継いだ秀頼は大仏の再建を目指した。

しかし、慶長7年に再建途中のさなか大仏から出火。

炎上してしまったのです。

それでも、父の想いを継ぐ事を諦めなかった秀頼。

慶長13年またもや大仏再建を目指した。

しかしここで、問題が発生した。

有名な出来事である

「方広寺鐘名事件」

これを機に豊臣家の滅亡と徳川家の天下統一へと繋がっていく。

大仏の現存は許されたのだが、

この事件により大坂の陣で、豊臣家の時代は続くことなく絶えてしまいます。

 

本当に不運な京の大仏…いや、豊臣家。

 

寛永通宝

これで終わりかのように見えた。

しかし、またもや地震により倒壊。

これにより京の大仏は取り壊しにあいます。

御利益のある大仏様です。

寛永通宝にしたとされています。

そのため民衆はお守りにしたとかしてないとか。。。

そして、寛文7年に京の大仏は木造として造られました。

ダメです。。。もう不運な出来事は起こらないでくれ。

そう願っていた最中…

「ピカッ!ドーン」

落雷が落ちたのです。

それも、京の大仏に。。。

京の大仏や本堂、楼門までも焼失してしまいます。

もう、、、造らない方が良いのでは。

最後の不運

その後、時はたち天保14年に上半身だけの木造大仏を再建された。

そのまま100年以上もの間、しっかりと現存し続けた。

はぁ〜ひと安心!

ん???

現代に京の大仏はないぞ?

そうなんです!なんと、、、

昭和48年3月28日に京の大仏様から突然の出火。

上半身だけの京の大仏は焼失。

そして、現在は京の大仏は再建されていないままである。。。

出典:Schwarzschild Cafe

 

まとめ

どうだったでしょうか?

本当に不運すぎるとしか言いようがありません。

祟りだったのか

豊臣家の滅亡への暗示だったのか

自然の原理だったのか

誰も分からないままです。

以上で終わります。御精読ありがとうございました。

 

前回の記事もここに貼っておきます。

鎌倉幕府が始まったのはいつからなのか。

これについて詳しく分析しております。

➡➡鎌倉幕府の成立は!? ~いい○○作ろう 鎌倉幕府~

 

今回の記事でたくさん出ていた「年号」についての記事もあります。

元号の歴史や決め方、変わるタイミングなど、面白く書いております。

ぜひ下記のURLをポチッっとしてみてください!

➡➡日本の歴史で元号は○○回変えられた!?

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