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『本能寺の変の謎』④ 明智光秀=南光坊天海って本当の話!?

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『本能寺の変の謎』④ 明智光秀=南光坊天海って本当の話!?

『本能寺の変』の謎④

 

今回も本能寺の変の謎について述べていこうと思います。

そして今回は本能寺の変の謎最終回ということになります。

あの歴史の英雄が実は討たれずに生き延びていたというならば、こんなにもワクワクすることはないと思います。

ましては、死んだのではなく、違う人物としてその後も世の中に影響を与えていたのならば…。

そのような事について述べていこうと思います。

 

 

前回までの復習

本能寺の変の謎は4構成で述べてきました。

 

①では本能寺の変の説明から、なぜ本能寺の変を起こしたのかについて様々な説を挙げてきました。

怨恨説・野望説・黒幕説と様々ありましたね。

➡➡『本能寺の変』の謎①

 

②では①で述べた黒幕説の具体的な説明をしていきました。

朝廷黒幕説・足利義昭黒幕説・豊臣秀吉黒幕説・徳川家康黒幕説など黒幕がいて、明智光秀を操っていたのではないかという話でした

➡➡『本能寺の変』の謎②

 

③では本能寺の変において織田信長生存説の可能性を見ていきました。

遺体が見つからなかったことを根拠に様々な憶測がありました。

遺体を違う所に運んだ、生き延びたが薩摩で死んでしまった。豊臣秀吉に殺された。
などとありました。

➡➡『本能寺の変』の謎③

 

そして今回は④の最終回です。

過去の記事は、上記のURLから全て飛んで頂けると幸いです。

 

明智光秀生存説

明智光秀は山崎の戦いの後、落ち武者狩りに合い死んでしまったとされています。

しかし実は、明智光秀は山崎の戦いの後、敗走したが生き延びたのではないかというのです。

それもそれも〜生き延びただけではなく、その後の世の中に影響を与える人物になっていたというのです!

 

そんなバカな!?歴史の授業では本能寺の変を区切りに新しい世の中へと変わっていくと習ったよと。

 

そうですよね。それが通説なのでありますから、死んでしまったというのは大いなる可能性があります。

しかし生存説も実は大いなる可能性があるのです。

明智光秀は山崎の戦いの後…

 

『南光坊天海』

 

という天台宗の僧となったと言われています。

そして、徳川家康の側近として江戸幕府を開いた1人の立役者となったという説があります。

その根拠について詳しく見ていきましょう。

 

・根拠① 地名

日光には「明智平」とよばれる場所があります。

そのような名前を誰が付けたのか…

なんと!天海なのです!

まぁ〜天海が付けたというのは伝承なので、確証があるわけではありませんが。。。

しかし可能性は十分にありますね。

 

・根拠② 家紋

家紋といえば、その家の証となるものです。

明智家でいえば、桔梗の紋ですよね。

実は徳川家康を祀っている日光東照宮に桔梗の紋が使われているのです!

また日光東照宮の建設には天海も携わっています。

①・②の両方が真実なら、なにか意味深な関係性があるように見えてしまいますよね。

 

・根拠③ 処遇

筒井家の筒井順慶は光秀と縁戚関係であったため、本能寺の変のあと光秀に加勢するかと思われていたが、筒井順慶と細川藤孝は協力しませんでした。

その後、筒井家を継いだ筒井定次は関ヶ原の戦いで徳川側についたが、改易されています。

京極家は山崎の戦いで光秀の味方となり戦いに奮闘しました。

関ヶ原の戦いでは最初は石田三成側であったが、徳川側に寝返りました。

しかし、石田側の攻撃に降伏します。

このように、石田側に付いていて石田側に降伏した京極家なのだが、関ヶ原の戦いのあと加増されています。

おかしな感じだが、明智=天海で京極家は山崎の戦いで味方をしたことが関係してるなら、可能性はありますね。

 

・根拠④ 春日局

大奥を取り締まっていたことで有名な春日局。
当時は高い身分では無かったのにも関わらず、三代目将軍徳川家光の乳母になっていたのです。

春日局は斎藤利三の娘であります。その斎藤利三は光秀の重臣でありました。

※春日局は天海に会った際に「お久しぶりです」と会話したという説があるとか無いとか。

 

また、四代目将軍徳川家綱の乳母は三沢局であり、光秀の重臣溝尾茂朝の孫にあたるそうです。

このように、光秀の重臣の子孫は徳川家では重要視されていたのです。

 

・根拠⑤ 鉄砲

「麒麟がくる」でも重要なシーンとして描かれていた鉄砲。

鉄砲の名手と称えられていた光秀。

天海のゆかりの地、喜多院に天海の鉄砲が残されています。

 

・根拠⑥ 筆跡

あるテレビ番組で放送されたのですが、光秀と天海の筆跡が似ているというのです。

プロ筆跡鑑定士がみたところ、似ている文字と似ていない文字があったとのこと。

そのため、同一人物説と近親説をと結論付けました。

 

・根拠⑦ 初対面

家康と天海が初めて会った初対面の時にも関わらず、人払いをし楽しそうに談笑していたというのです。

戦国を生きる人ですから、普通なら初対面は警戒しますよね?

それが危険を疑わずに人払いまでして、挙句の果てには談笑ですよ

普通なら不可解ですよね。

しかし、光秀だとするならば理にかなっているような。。。

 

以上が明智光秀=南光坊天海だと言われている根拠であります。

実はこれ以外にも様々な根拠が挙げられています。

ここまでの根拠があるなら、明智光秀=南光坊天海でもおかしくは無いように感じるのも事実。

あぁ〜ミステリー!面白い!

まとめ

いかがであったでしょう!?

明智光秀が生存していただけでも驚きであるのに

 

南光坊天海となり、その後の世に影響を与えていたとするならば、歴史の奥深さを感じます。

本能寺の変の謎②でもお話した、豊臣秀吉黒幕説であるならば、光秀は利用されたかのように見えます。

しかし実は、麒麟がくる世にするために、光秀が秀吉をも利用していたとするならば、光秀の賢さ、信念深さが伺えます。

 

このように本能寺の変の謎①〜④までを整理して、自分なりの考察をしてみるのも良いものですよ!

それが歴史の面白さに繋がっていくと思います。

 

私の考察は、光秀が生き延びてて欲しいという気持ちも込めて生存説を推します。

 

人情に熱く様々な人から好かれ、賢くもあり、多くの人に影響を与えた明智光秀。

本能寺の変・山崎の戦いで亡くなったのか、はたまた生き延びて南光坊天海として江戸幕府を開く立役者となったのか。

未だに謎めいたミステリーではあるが、最期まで平和な世の中を求めた波乱な人生だったといえるでしょう。

「麒麟がくる」同様に、明智光秀は徳川家康と協力し何百年もの平和な世の中…麒麟を連れてきたのか!?

最後に

本能寺の変の謎①〜④までご精読ありがとうございました。

本能寺の変ひとつ取っても、多くの謎や説があることが分かっていだだいたと思います。

更には、その謎は未だに確証がないままのミステリー。

 

これこそが、歴史の醍醐味だと私は考えております。

私自身もこのような謎や説を知ることが、歴史好きになったキッカケでもあります。

そして、私のこの記事が皆さんのキッカケになれば幸いであると考えております。

そのためにも、今後も歴史の面白さに気付いてもらえるよう、面白い記事を書いていこうと思います。

改めて、ご精読ありがとうございました。

 

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