地歴公民

『本能寺の変』の謎 ① 意外な人物が黒幕!?

  1. HOME >
  2. 地歴公民 >

『本能寺の変』の謎 ① 意外な人物が黒幕!?

『本能寺の変』の謎 ①

今回も日本の歴史ミステリーについて述べていこうと思います。

前回は歴史ミステリーの1つ、邪馬台国の場所はどこなのか?について述べました。

気になる方は下記のURLをポチッとしてください。

➡➡『邪馬台国』の場所って近畿説?九州説?それとも…ハ〇イ説?

 

ではさっそく今回の歴史ミステリーを述べていきます。

そのテーマは…

 

『本能寺の変』

 

です!

本能寺の変は日本の歴史でも、多くの人が好きな有名な出来事です

大河ドラマ「麒麟がくる」でも最終回で描かれましたよね。

しかし本能寺の変には大きな謎がたくさんあります。

その中でも有名な謎についてピックアップして述べていこうと思います。

今回は『本能寺の変』の謎①です。

よろしくお願いします。

 

 

本能寺の変とは

まずは本能寺の変とはどのような出来事だったのか簡単に解説します。

天正10年(1582年)6月2日の早朝の出来事です。

織田信長が京都にある本能寺というお寺に滞在していました。

織田信長の重臣達が各国に散らばっており、織田信長は馬廻衆の少ない家来を連れていました。

その手薄な場面を狙い明智光秀が本能寺の周りを囲い

「敵は本能寺にあり」

と言って矢や鉄砲を放って謀反を起こしました。

織田信長は家来を率いて少し応戦するも矢が刺さり、鉄砲で撃たれ、ここが最期と悟った織田信長は

「是非に及ばず」

と最後の言葉を発し本能寺に火を放たせ、舞を最期に自決しました。

その後、明智光秀は信長の首を探すも見つからないまま、豊臣秀吉があの有名な「中国大返し」で異様な速さで帰ってきました。

そして、「山崎の戦い」で明智光秀軍と豊臣秀吉軍がぶつかり、明智光秀が敗北を喫します。

そして、明智光秀は敗走したまま竹やぶの中で落ち武者狩りにあい、命を落としたとされています。

これが本能寺の変の一連の出来事であります。

これが皆が知る通説です。

しかしここにはたくさんの謎が秘められています。

本能寺の変の謎①  なぜ明智光秀は裏切ったのか!?

明智光秀はなぜ主君である織田信長を裏切ったのでしょうか?

この謎は未だに確固たる根拠は分からずにいます。

説としては

怨恨説

信長は都合が悪くなると光秀にきつく当たり、額から血が出るほど光秀を殴ったりした。

徳川家康の接待役を解任された。

などの理由から恨みを抱いたという説があります。

野望説

ほぼ天下を支柱にした織田信長を倒すことで、自らが天下人となる事を望んだとされる説です。

 

これらは後世に編纂した二次資料であります。

また私の意見ですが、本能寺の変が起こるまでは良い関係だったと思うのです。

信長が光秀に意見を求めたり、光秀の娘の結婚を進めたりしました

また、信長の家臣の中で初めて城持ちに選ばれたのは光秀です。

光秀に丹後征伐を任されたり、細川や筒井を従えさせたりと大大名になっていました。

そのように大恩ある信長を恨みや野暮で裏切るとは到底思えないのです。

 

そこで黒幕がいたのではないのか?という説もあります。

その説はこちらです。

朝廷黒幕説

足利義昭黒幕説

豊臣秀吉黒幕説

徳川家康黒幕説

長宗我部黒幕説

寺院黒幕説

織田信長の暴走阻止説

などがあります。

これも私の考察ですが、本能寺の変で一番得をした豊臣秀吉が黒幕だったのか。

朝廷に圧力をかけた信長を危険視した朝廷が黒幕だったのか。

この2つなのではないかと予想しております。

まとめ

今回は「本能寺の変の謎」の①でした。

その謎はなぜ明智光秀が本能寺の変を起こしたのかでした。

様々な意見や考えがありますが、未だに根拠が確定しておりません

なににしろ、主君を敬う明智光秀が主君を裏切るに当たった理由は簡単なものではないと思います。

また、賢い明智光秀がいとも簡単に山崎の戦いで負ける事も考えずらいことです。
しっかりと作戦を立ててたはずなのです。

やはりこの謎は深まるばかり。。。

次も本能寺の変の謎についてピックアップして述べていこうと思います。

次回もお楽しみに!

新着記事

-地歴公民

© 2021 Bla Blarning